神様プログラマー




その日、初めてナルアキのキッチンは活用された。
大葉が泊まり込んで張る事になった為、夕飯を作ったのだ。

「交代で外行って食べてくればいいじゃないですか」

とは、ナルアキの言だった。

「使えよ。こんなでけぇキッチンついてんだから」

とは、大葉の言。
無論、この家には米やパンといった炭水化物すら無く、大葉は一度駐車場に納めた車に再び乗り込み、買い出しに行く羽目になった。
それなら交代で外へ出ても同じじゃないか、とナルアキは言ったが、身体に悪い、いい加減にしろ、と大葉に怒鳴られてしまった。
とは言え、鍋や調味料から揃えるしかなかった。モデルルームよりも真新しいキッチンだったのだから。

「大したもんですね」

見ていれば、言うだけの事はある、とナルアキは感心した。
強面と言っていいであろう見た目の割に、大葉の手は器用に動く。

「そういうのって誰から習うんですか?」
「特に習うもんでもねぇだろ」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。こういうのは見よう見真似と、常識的な思考力があれば何とかなるもんだ」
「じゃあ、僕には無理ですね」

見よう見真似も初めてなら、常識的な思考力が無い自覚もあるから。
無駄口をお供に大葉はオムライスとわかめスープを完成させた。
スイカミルクやココアといったナルアキの飲み物のチョイスが子供っぽい事から判断したが、どうやら正解だったらしい。
体面型キッチンの向こう、ほとんど使った痕跡のないダイニングテーブルでナルアキはじっと大葉の料理する姿を見ていた。
どうしてここまで気を使ってやっているんだ、と思いながら大葉はテーブルに食器を並べる。

「意外と普通に見えますね」
「意外とって何だよ」
「だってシソさん、大雑把そうに見えるから」
「俺は、あんたはもっと神経質そうだと思ってたよ」
「神経質ですよ」
「ある点に関しては、そうらしいな」

書斎は散らかり放題かと思えば、生活感はまるでない。
人と関わるのが嫌だと言いながら、大葉の目の前でこうしてオムライスをつついている。
アンバランスだ。この街のように。
ある意味で、非常に現代的な若者だと言えなくもないのかもしれない。

「うん、おいしい」
「味覚は無事なようで何よりだ」
「どういう意味ですか、それ」
「ファーストフードやコンビニ弁当ばっか食ってると味覚がおかしくなるって言うだろ」
「そうですかね」

スプーンを動かしながら、ナルアキはちらりと前髪の隙間から大葉を見た。
初対面の時に思ったより面倒見がいい。と言うよりは、人が好いのだろうか。警察官などという人助けの仕事を選択した辺り、本質的に優しいのかもしれない。
顔と口調は少々キツいが、料理も上手いし、思考回路も面白い。何より、一緒にいて楽だ。

「人は見かけによらないって本当だなぁ・・・」
「あ?そんなに俺が不器用そうに見えんのかよ」
「いーえ、そういう事じゃないですよ」
「・・・?」

眉間に皺を寄せて不思議そうに、困惑げにする大葉にナルアキは思わず噴き出した。
こんな風に、人と向かい合って作りたての食事を摂る日が来るとは思ってもみなかった。

「なんか、新婚さんごっこみたいですね」
「やめろ、気持ちわりぃ!!」
「あ、はは・・・っ」

ナルアキはあまりに無邪気に笑った。前髪の隙間から、その笑った目が見えた。
あぁ、このガキこんな風に笑うのか、大葉は感慨深くそう思った。


それから三日。大葉は無駄に広いソファで夜眠り、ナルアキは無駄に広いベッドで昼眠る、という状態が続いた。

『いました』

時折、クレイドルに乗りながらもフル稼働していた天花がそう口にしたのは台所新品事件から四日目の夜明け前だった。
書斎でひと晩中プログラムを打ち込んでいたナルアキはその声にキーを叩く手を止めた。

『死体です』

無駄口を叩かない天花はナルアキにとって非常に都合のいい同居人だったが、要領を得ない事が稀にあった。
もう少し、日常生活を共にすればAIが言語を学習してその不都合も徐々に解消されていくだろう。

「・・・死体?何が?」
『照合された男性が、殺されました』

思わず間抜けに聞き返したナルアキに、天花は平然と、いつもの調子で答えた。
ガタリ。いつになく乱暴にデスクチェアから立ち上がったナルアキは神様と電子機器を接続するクレイドルを引っ掴んで、書斎から飛び出した。

「シソさん、出ました。起きてください!」

リビングのソファで仮眠していた大葉はその声に目を開いた。職業柄、目覚めは優秀だ。

『新宿の宝石店です』

大葉はすぐさま、車の鍵を掴む。ワイシャツにスラックスという恰好で、背広は着ていなかったがこの際どうでもいい。
ナルアキが天花をスリープモードにして拾い上げた時には、既に玄関に向かっていた。流石の素早さである。
地下駐車場に急ぎ、車に乗り込む。大葉はカーナビに触れず、すぐにアクセルを踏み込んだ。

「まさか、手動運転ですか?」
「ナビじゃ法定速度しか出ねぇし、赤信号にも止まっちまうだろうが」
「いや、でも」
「あんた手動の車に乗った事もねぇのか」
「ないですよ。僕これでも二十代ですから」
「あぁ、そうかい。安心しろよ、警察じゃ日常茶飯事だ」

大葉は運転席と助手席の間のセンターコンソールについたスイッチを操作した。ルーフの上に赤いパトランプが出る。が、音と光は出さない。
警察車両だとはわかるが、犯人に接近を悟られることは無い。
路上を走る大半の車は自動運転だ。緊急車両の接近には避けるようになっている。普段はランプが出ていない大葉の覆面パトカーも今は立派な緊急車両だった。
だが、安全かつ穏やかな自動運転しか知らないナルアキには辛いものがあった。いくら時間的に車も少なく、その少ない車も避けてくれるとは言え、この揺れは考えられない。

「先生、天花連れて来たんじゃねぇのか?」
「え。あぁ、そうでした」

すっかり失念していた。ナルアキは天花と携帯電話を繋ぐ。
ホログラムのセカンドモニターに現場映像を映し出したが、如何せん揺れで画面が見辛い。
辛うじて確認できた犯行の瞬間はばっちりと、仲間割れの口論する様子と射殺の瞬間が映っており、残りの犯人の顔も捉えていた。

「歯がゆいですねぇ、これを証拠に出来ないなんて」
「・・・そうだな」
「射殺ですよ。頭を一撃です。シソさん、拳銃持ってます?」
「あぁ、ダッシュボードにある。出しといてくれ」

言われた通り、ナルアキがダッシュボードを開けるとそこにはティッシュやサングラスと一緒に無造作に放り込まれた拳銃があった。
それをおずおずと取り出しながら、ナルアキは横で速度違反の運転をする刑事を見やった。

「刑事さんって常に拳銃携帯してるもんなんですか?」
「今のご時世当たり前だろ」
「拳銃携帯令とかが出てから持つんじゃないんですか?」
「・・・あんた二十代だっつった割に、いつの時代の刑事ドラマ見てんだ」
「面白いですよ。昭和とか平成とか」
「ありえねぇよ。こんだけ治安悪い時代にんなまどろっこしい事してられっか」
「でも、今時リボルバーなんて。言ってる事の割に物は骨董品じゃないですか」

大葉は眉間に皺を寄せた。

「詳しいな」
「だから、昭和平成の刑事ドラマ見てるんですってば」
「オートマは信用してない」
「どうしてです?」
「万一、不発が出ても、リボルバーはシリンダーを回せば撃てるだろ?」
「古いですねぇ。どこぞのアニメのガンマンが同じような話をしてた気がしますが」
「・・・それこそ古いだろ」
「馬鹿にしないで下さいよ。往年の超名作じゃないですか」

リボルバーのニューナンブが現役だった時代。まだ日本人の心に神がいた時代。日本が、世界で最も安全な国と言われていた時代が確かにあったのだ。

「一緒に弾入ってるだろ?四発しか入れてねぇから装填しといてくれ」
「いやいや、流石に冗談じゃないですよ!」
「なら四発でいいか」
「几帳面かと思えば、存外適当ですね。A型じゃないんですか?」
「血液型か?Oだよ」
「あー・・・」
「あんた、Bだろ」
「なんでわかったんですか」
「誰がどう見たってあんたはBだよ」

程なくして、車は件の宝石店につけた。十分は経っているだろうか。警報機は鳴り響いていたが、まだ捜査員は駆けつけていないようだった。
ふたりは車を降りずに、窓から店の前で血を流す犯人を見た。近づくとカメラに映る可能性がある。
強盗を犯し、人を殺し、最期は仲間割れでこの世を去るなどお粗末な人生に思えた。

「相手は徒歩だ。まだ遠くへは行ってないはずだ」
「えぇ、追いましょう」

ナルアキは携帯電話を再び取り出し、周辺地図を出した。どちらにしろ、いつ捜査員が駆けつけるかもわからない。
神様計画準備室は公安の中でも機密組織であり、その存在を匂わせる事すら出来ない。

「路地に入ってたら、車じゃ追えないな」
「それは有り得ません。犯人は地元に何年も住んでいるわけではない。たかが数ヶ月です。夜明け前の暗い路地に土地勘もないのに入るわけがない」

ナルアキは携帯電話の周辺地図から細い路地を除外指定、残る大通りだけ赤く色を付けて表示させた。

「数ヶ月の土地勘、下見から警察署や交番は確認済みのはずです。次の信号を右折してください」

大葉はその指示を信用して、ハンドルを切った。
ぐらり、と乱暴に揺れる車内にナルアキは眩暈を覚えつつ、何とか携帯電話を見る事に集中する。
そのわずか先で、大葉の目が犯人らしき男たちを捉えた。皮袋のような物を持っている。恐らく、今日の獲物だろう。

「すぐそこに交差点があります」

その言葉の意味を正確に解した大葉は再び、ハンドルを切った。交差点の、横断歩道から歩道上に乗り上げるような形で斜めに車が停止する。
犯人たちの足が止まった。横はビル群だ。逃げるには植え込みを越えて道路に飛び出すしかない。
ナルアキと大葉は車を降りた。かつん、と音がした気がして、一瞬大葉の気がそれた。
ガウン・・・!
その隙を狙うのは常套だ。大葉は咄嗟に身を縮めたが、開きっぱなしだった運転席のフロントガラスは割れた。あの銃はトカレフだ。中国経由での密輸が多い。
そこに、ナルアキが車の後ろ側を回ってやって来ていた。

「これ、経費で落ちるかな」
「始末書書けば落ちるんじゃないですか?」
「苦手なんだよなぁ」
「でしょうね」

この状況にしては呑気な会話だと、ナルアキは意外と冷めた自分の頭に驚いていた。

「先生、あんた運動神経は?」
「良さそうに見えます?」
「全っ然」
「ご明察です」

二発、三発、四、五、六発、七発。トカレフの装弾数は八発。
銃声を数えて大葉は車の影から半身を出した。
骨董品の銃の引金を引く。再び銃声がして、弾切れに慌てていた犯人の足を撃ち抜いた。
ナルアキは、そっと車体の端から顔を覗かせる。倒れているのがひとり。何か喚いているのがひとり。あれは恐らく銃などは持っていないのだろう。
ふたり?あの映像を思い出す。ひとりは死んで、いや、確かそいつを殺したのは・・・、

「   !」

中国語が背後から聞こえて、ナルアキは腕を引かれた。
太い筋張った腕がぐ、と喉元に回される。耳元でがちり、と嫌な音がした。

「先に逃げたのが居やがったか」
「   !!」

奴はもう一度、同じ言葉を吐いた。
中国語は理解できなかったが、恐らく銃を下ろせ、辺りだろうと大葉は大人しく愛銃を足元のコンクリートに投げた。何せ、トカレフには安全装置がない。一瞬で殺れるのだ。
がしゃん、と銃がコンクリートに落とされる音がした後、ナルアキの首はさらに締め付けられる。
大葉の横を仲間のふたりが撃たれた傷を庇いながら通り抜ける。よっぽど、飛びかかって確保してやろうかと思ったが人質の命が最優先なのは言うまでもない。
ここまで来て取り逃がす訳にはいかない。時間もない。いい加減、捜査員が追跡し始める頃だ。ここはすぐに見つかる。
犯人にとってもそうだろうが、自分たちにとっても、捜査員に見つかるのは避けたいのだ。
その時だった。
危機的状況のはずのナルアキが、ニィ、と笑った。

「  !!」

ナルアキを抑える男の顔が驚愕に見開かれた。
そして、急にナルアキを開放し、大葉に銃を向けた。大葉は咄嗟に身を屈めたが、車の角度的に最早遮るものは無い。だが、そんな懸念を余所に弾丸はしゃがみこんだその遙か頭上を通過した。
銃口が向いていたのは大葉の向こう側。捜査員が来たのかとはっとしてフロントガラスのなくなった、開けっ放しの運転席の窓から背後を見た。
果たして、そこにいたのは捜査員ではなく。

『愚かな子』

静かな、しかし凛とした女性の声が響く。聞き覚えのあるその声に、大葉は車を降りた時に自分の気を逸らしたあのかつん、という音を思い出した。
神大市姫命だ。あの音はナルアキが神様を落とした音だったのだろう。
種を知っている大葉でさえ、ぞっとする程に暗い中にうすぼんやりと浮かび上がるホログラムの女神は不気味だった。
神様はその存在感を出す為、あえて少し大きめに作ってある。女性型の神大市姫命でも、ナルアキより背が高いぐらいだ。流石に存在感があり、その容姿も相まって目を引く。

『そなたたちは祟らるる』

言葉は通じていないだろう。更に言えば、中国人の宗教観が如何ほどのものかわからない。第一、彼女は日本神話の神だ。
だが、この雰囲気だけでも有り余るだろうと思えるほど、恐ろしく、そして荘厳に見えた。
女神は両手を真っ直ぐ前に伸ばした。その掌から、無数の宝石がざらざらと溢れては消えていく。そして、掌から溢れるものは宝石から血に変わり、彼女はうっそりと笑った。
実体がなく、物に触れる事も叶わない神様に、銃弾など通るはずがない。
弾切れが訪れた銃は、引金を引けどもかちかちと虚しい音を立てるだけだった。大葉はそこを確保しようと立ち上がりかけたが、男は弾の切れた銃を捨て、ポケットからもう一丁、取り出した。
まずい、そう思った瞬間だった。
ぐったりと座り込んでいたナルアキが急に顔を上げた。
バシン、とそんな音が聞こえた気がした。ナルアキを捕えていた大柄な男の体が傾き、倒れる。
大葉は愛銃を拾った。最後に残ったひとりが同じく一丁残った銃を拾おうとするその手を、撃ち抜いた。
振り返ると、神大市姫命が真っ直ぐに伸ばした両腕を下ろし、穏やかに微笑みながら消える所だった。

「先生、大丈夫か?」

駆け寄って、ナルアキを支え起こすと、彼は何事もなかったかのように笑った。

「助かりました。いい腕してるんですね」

あまりにけろり、とした様子に大葉は深くため息を吐いた。安心と、呆れと、感心と、そんな所だ。
愛銃を背広の内ポケットに納める。

「オリンピック候補になった事があるんだ」