三
念のため、店舗正面と裏口に設置しましょう。監視カメラに写りでもしたらむしろ不審者ですから、注意してくださいね。
シソさんの声紋は登録してあるので、機械を落としたらスリープと言ってください。それでスリープモードに入り、待機します。
翌日、昼間の内にふたりで手分けして高級宝石店にアテを付けて回った。
日光を嫌うナルアキは長い前髪に加えて頭からパーカーのフードを被っていた。こんな奴に不審者などと言われたくない、と大葉は心の底から思ったものだった。
この姿格好こそ、どう見ても下見に来た犯人ではないか。
「あなたと出会ってから、僕は日中行動が明らかに増えています」
一通りの作業を終えた夕方、別行動だったナルアキを車で拾いに来た大葉に彼は開口一番こう文句を垂れた。
大葉はノリノリだっただろうが、と突っ込みたいのを抑える。夏嫌い、太陽嫌い、人嫌い、の三拍子揃った夜行性引き籠りが昼間に繁華街をひたすらうろつくのは堪えたのだろう。
「ちったぁ、人間らしくなっていいんじゃねぇの?」
「僕はいつだって人間です」
まるで子供のように幼い口応えの仕方に大葉は苦笑せざるを得なかった。
お疲れらしいプログラマーの先生に買っておいた麦茶のペットボトルを差し出す。大人しく受け取ったナルアキは喉を湿らせながら、いつも通り覇気のない声を発した。
「昨日、あれからNシステムを調べました」
「は?どうやっ・・・」
て、と続く筈だった言葉は途切れた。どうせハッキングだ。
このプログラマーのことだ。解析ソフトも独自開発している可能性がある。
ナルアキはポケットからモバイル端末を取り出した。薄いカードの液晶に触れ、ホログラムのセカンドモニターを立ち上げて操作する。
「これです」
ホログラムにNシステムの画面を一時停止した画像が出ていた。日付は昨日、犯行翌日だった。
車が一台映っているが運転手の顔は見知らぬ女性だ。
「おい、これは」
「車じゃありません。歩道です」
「歩道?」
大葉は視線をずらす。かろうじて映りこんでいる歩道の奥、そこに四人の男が歩いていた。遠目で顔の判別は難しい。しかし男が四人、それは確かだ。
ナルアキが携帯電話を操作する。昨日、大葉が置いて行った写真を取り込んだらしいものが現れ、鑑識で見るのとよく似た解析が始まった。
その四人のうちのひとりに、MATCH98%、という結果が出る。
「なるほど。そういう使い方があったか」
「東京中調べたんですよ。ひと晩かかりました」
「ご苦労だったな。それなのに睡眠時間に活動させて悪いね」
「本当ですよ」
「で、これはどこだ?」
「新宿です」
新宿、高級宝石店の数はトップだ。先ほどの仕掛けも、一番苦労したエリアである。
だが、東京という街は地下鉄が張り巡らされている。誰がどこに出没してもおかしくないのだ。
「下見でしょうか?」
「それにしては間隔が狭い。一から三件目の犯行頻度は一週間以上は空いていた」
「焦っている?」
「何故?」
「ふふ、なんだかいつもと逆ですねぇ。海外逃亡の前にもうひと稼ぎってのはどうです?」
「悪くない。だが、だったらさっさと出て行けばいい」
「金に困っている、とか?」
「億単位の稼ぎだぞ」
「金に困る理由なんて星の数ですよ。ギャンブルとか、株とか、億ぐらいならいきそうですけど」
「新宿に潜伏してるって可能性も消えない」
「仰る通り。新宿を重点的に張る価値はありますね。僕、今日この周辺にも仕掛けてきました」
賢明だろう。犯行が行われなくても、新宿に潜伏していればそれに引っかかる可能性がある。
「天花が常時監視してます。何か見えたら、伝えてくる筈ですから」
「便利だな。張り込みもそうならいいのに」
「これもある意味張り込みですよ。でも、そうですね。僕は好きですよ。警察の人力主義な古臭い所」
「褒めてんのか、貶してんのか」
「褒めてるじゃないですか。かっこいいと思いますけどね」
ナルアキの自宅に帰りついた頃には傾いていた日はすっかり落ちていた。
大葉は既に勝手知ったる他人の家、なので勝手に台所にも侵入する。冷蔵庫を開け、生温くなった飲み残しの麦茶を入れようとして、唖然とした。
「先生、あんた何食って生きてんだ」
ナルアキは天花と共に振り返った。
「冷蔵庫、空じゃねぇか」
「別に料理しなくても生きていけますよ」
確かにそうだ。その通りだ。ナルアキが夜行性とはいえ、このマンションから徒歩三分の所にはコンビニがあるし、もう少し足を延ばせばファーストフード店もある。
だがこの状態は異常だ。
冷蔵庫にはミネラルウォーターもない。缶コーヒーもない。それどころか、ここの台所の綺麗さたるやまるでモデルルームだった。
いや、モデルルームのほうがまだ生活感があるだろう。鍋もない。塩も、砂糖も醤油もない。備え付けのキッチンに冷蔵庫、電子レンジ、これだけだ。
これでは湯を沸かすことすらできない。
案の定、食器類もなく、そういえば書斎に紙パックのココアが置いてあった。
この家で一度たりとも茶のひとつも出ないのがわかった。出しようがないのだ。
「人間の生活空間とは思えないな」
「シソさん、料理するんですか?」
「男やもめだからな」
「結婚しないんですか?黙ってたら女性ウケは良さそうなのに」
そう言った、何気ない言葉に大葉の目が動いたのをナルアキは見逃さなかった。
「黙ってねぇから、女ウケが悪いんだろうよ」
ナルアキは先の大葉の表情が気にかかったが、そうですか、と頷くだけにしておいた。