第二章
一
季節は夏になろうとしていた。
ナルアキはぼんやりとテレビのニュースを眺めながらパソコン画面に表示された捜査資料をスクロールした。
あれから一ヶ月を経た。警察関係者でもなんでもないナルアキにとって、警察官である大葉は上司となった。奇妙な話である。
その上司から流れてきた捜査資料はナルアキにとって未知のものだった。一般人が捜査資料を見たことがあるはずがないので、当たり前の事だ。
こんな風に書かれているのか、と感心しつつもイマイチ理解できない。文章と写真で、現場の状況がわかるか、と言われるとプロの捜査官でも不可能ではないのか。
「ねぇ、天花」
『はい』
「現場百回ってほんとなんだねぇ」
『なんです、それ?』
大葉は携帯電話の着信音にデスクワークの手を止めた。
そこに表示された名前はここ一ヶ月余り、脳から離れなかった名前。しかし、決してこの画面に現れる事のなかった名前。
「珍しいなぁ、先生」
『ねぇ、現場連れてってくださいよ』
「捜査資料じゃ不満か」
『あれだけ見て理解できる人っているんですか?アームチェア・ディテクティブとかありえないと思うんですよね』
「・・・わぁったよ」
流石に、巻き込んだ側なだけあって、大葉には断る事など出来ようもなかった。
一応、ナルアキは今や大葉の唯一の部下であり、相棒であり、友人、と言っても良いだろう。唯一、繋がりのある人間なのだ。
仕方なく、大葉が車を回し三度目となるナルアキの自宅を訪れた。
かつては相当な高額だったであろう、そのマンションには無駄に広い、ホテルのようなロビーがあった。
そこに設置された待合用なのか、住民交流用なのか、よくわからないソファにナルアキはいつものように膝を抱えてうずくまっていた。
「先生」
呼べば、ナルアキは気だるげに顔を上げた。無理もない。彼にしてみれば今は活動時間外だ。それもまた、彼からの電話に大葉が驚いた理由だった。
「夏はもう終了でいいと思うんですよね」
「まだ始まってもねぇよ」
ふたりは車に乗り込む。
大葉は指紋認証でエンジンをかけ、カーナビに行先を設定した。サイドブレーキを下ろし、アクセルを一度踏み込んだ。
「あんた、車は持ってないのか」
「ていうか、免許持ってませんから。でもフルオート車だったら免許とかいらないと思いません?」
「思わん!あんたこの上更に無免許運転までやらかす気か!」
七件ばかりまわって、到着したのは閑静な住宅街だった。
台風で災害時の恐怖を焼き付けられた人々は高層マンションに住まなくなった。倒壊し、避難出来ずに何千と死んだ、その記憶が鮮明に根付いてしまっているのだ。
耐震強度に優れた日本の住宅も、飛来するあの隕石のような雹は想定外だった。窓ガラスが割れたマンションから突風に投げ出されて、多くが死んだ。
建売住宅が売れ、それなりに景気は良くなった。ナルアキが住むような、台風前は億ションと呼ばれていたマンションでさえ買い手がつかず、値下がりの一途を極めた。
ここもそんな中で生まれた住宅街のひとつだろう。
「変ですよ」
「先生もそう思うか」
「三件目までは高級宝石店だったじゃないですか。どうして、四件目から急に商店街や住宅地の古い小さな宝石店になったんですか?」
ナルアキは周囲を見渡す。閑静で穏やかな住宅街の一角、スーパーや書店などが並び、小さな商店街の様になっている。
その中の宝石店が現場だった。
「連続宝石店強盗と位置付けた根拠はなんです?」
「手口だな。裏口の鍵を特殊工具で破壊して侵入してる。ゲソ痕のサイズも一致してる。ゲソ痕ってのはな、」
「足跡の事でしょ。オタク馬鹿にしないでください」
「まぁ、高級宝石店にはセキュリティがついてるだろ。それこそあんたの家みたいな」
「でも三件も入ってますよ」
「そうだな。三件成功させて、どうしていきなり方向転換したのか」
ナルアキは辺りを見渡した。
平日の昼間でも主婦が玄関を掃除しているし、郵便配達のバイクが走っている。
深夜なら誰も通らないだろうか。いや、確実にそうとは言いきれないはずだ。深夜に帰宅するサラリーマンだって少なくはないだろう。
「三件目を成功させて、次は四件目。勢いがつく頃だと思いません?急激に犯行頻度が上がったのはそういう事かと思ったんですが」
「そうだな」
「宝石店の方に、狙われた理由に心当たり、とかそんな聴取しました?」
「ああいう古い宝石店は昔の仕入れから残ってたりするそうだ。でかいとこになると売り切っちまうだろ」
「不良債権、ですか?」
「そこまでは言わないが・・・まぁ、そういう事になるか」
ナルアキは少し、考えるように顔を伏せた。
「そうですね。じゃあ、帰りましょう」
「は?もういいのか?後まだ、」
「僕らにはこの事件を捜査する権限がありません。それに、まだ捜査員がここに来る可能性があります。鉢合わせたら厄介じゃないですか」
そう言って、ナルアキはさっさと車の助手席に乗り込んだ。
大葉は何を今更、と思いつつも仕方なくナルアキの自宅へ向かって車を発進させた。
「ちょっと、考えてる事があります」
「へぇ、流石に頭はいいな」
「ですが、捜査に口出しは出来ません」
「よくわかってるじゃねぇの」
「僕らは神様計画準備室ですから、神様で対抗しましょう」
引き籠りかと思えば、現場に出たいと言い出し、少し現場を見ただけで考えがある、と言い出す。
中々に面白い。少々手におえない非常識さは感じるものの、こういう人間は得てして変わり者だ。
「明日の晩、やりましょう。迎えに来てくださいね」
「一日で出来るのか?」
「既に作ってある物をはめ込む作業だと思ってください」
大葉は面白い方の仕事に従事する為、帰庁してすぐ、つまらないデスクワークを処理した。